愛媛大学社会問題研究会

愛大社研。現代社会の諸問題について自主的に学び合うサークルです。普段は読書会や茶話会を実施。ブログでは活動の告知や報告などを行います。詳しくはhttps://exnihilo1984.wixsite.com/eu-syaken2017

イリイチ『脱学校化の社会』

 今読みたい本がこれ。ずっと、管理/監視社会化の趨勢にムカムカしている。これを社会問題の一つだと考えている。この苛立ちはなかなか他者に伝えにくい。

 単純な例え話をすると、街中に監視カメラが張り巡らされるとする。それに対して一方ではプライバシーの侵害云々と普遍的な人権意識に基づいて反対するリベラル派がおり、他方では「安全になるならそれで良いじゃないか」と居直り推進する(生活)保守派がいる。対して、これを書いている会員は、ただただ飼い慣らされている感が腹立たしいだけだ。そこに人権または安全など、他者と共有可能な大義があるわけではない。ただ個別的な違和感、不快感である。

 この管理/監視社会化の有り様とそれへの根本的な反論の難しさを思想的に論じた本が東浩紀大澤真幸自由を考える』だが、これも参考になる。

 又聞きする限りでイリイチに共感できるのは、結局システム・制度に依存する近代人への批判を持っているからだ。教育にせよ民主主義にせよ、それがどんなに崇高な理念であろうとも、それをシステム化して合理的に実現しようとする時点で、すでに機能失調の兆しをはらんでいる。そのことに無自覚なリベラル派はすぐに「主権者・教育」をちゃんと取り組むべきなどと騒ぎ始めるのだ。主権者という法の外部にいる存在を、法の内部で製造できるというご都合主義か。

 

 ともあれ、そうした合理主義は、学校という場には馴染みやすい。社会問題として管理/監視社会化を考える場合、それは管理と監視を支えるシステムを解き明かし、その解体を考えなければならない。その場合、非日常的な例として取り上げられがちな監視カメラのような類いは実は表面的なもので、むしろ日常的な学校、システム、組織というものこそが、この傾向を支えているものかもしれないのだ。

 

 その意味でイリイチのこの本には、底しれぬ読書の可能性を感じる。特に教育といえばカリキュラムで張り巡らせた学校教育しか念頭にないような「教育」を施されているであろう教育学人は、イリイチにどう向き合っているのだろうか。

 

 あとは資本主義、若者の就職難(労働問題)についてだが、これはマルクス主義の本を踏まえれば良いだろう。その話はまたいずれ。