愛媛大学社会問題研究会

愛大社研。現代社会の諸問題について自主的に学び合うサークルです。普段は読書会や茶話会を実施。ブログでは活動の告知や報告などを行います。詳しくはhttps://exnihilo1984.wixsite.com/eu-syaken2017

外山恒一「総統に訊く」

 ではどうすればいいんでしょうか?

 「どうするも何も、状況を一変させる斬新で画期的な方法なんかないよ。世の中おかしい、変えなきゃいけないと思う学生が、まず自分の大学で一人でビラでもまき始める以外にない」

 今どきビラまきですか?

 「すぐ『ネットで人を集めて……』とか云い出す奴が多いんだよ。そりゃネットも一つの手段として使えないわけではない。それはそれで使ってもいいんだけど、運動の核になるメンバーは、ネットなんかじゃ集められない。というのは、不特定多数の前に自分の姿を公然とさらしてモノを云う覚悟が、少なくとも運動を中心で担う人間には必要だからだ。ネットで集められるのはシンパだけだと思った方がいい。例えば自分たちの考え方や活動を紹介するサイトを作るのはいいし、むしろ作った方がいい。しかし、そのサイトを見ろというビラをまかなければ、サイトを作る意味もない。まあ大学の状況によっては、最初は公然とビラをまくのは難しいということもありうるが、その場合はビラ置きでもビラ貼りでもいいから、とにかくリアル世界に登場しなければ始まらない」

 しかしそう簡単に仲間が集まりますかね?

 「そこらへんは私は楽観的だよ。というのも、社会的・政治的なことに対する関心そのものは、近年急速に高まっていると思うからだ。私の印象では、無関心のピークは90年代後半あたりだったと思う。知的な若者は宮台真司に、バカな若者は小林よしのりに感化されていた暗黒時代だ。いずれにせよ社会問題なんかに深入りせずに、まったり生きろだのオトナになれだの、ろくでもない言説ばかりが流布されていた。ところがその後、状況は激変。宮台や小林さえ少しはマトモなことを云うようになったほどだ。社会のしくみを根本的に何とかしないことには状況はヒドくなる一方だと、よっぽどのバカでも分かるぐらい、日本社会が末期的な様相を呈してきた。政治的無関心”の時代はとっくに終わっている。受け皿がないからそれが顕在化していないだけなんだよ。あるいはそれこそネットがガス抜きとして機能している側面もある。しかし一方で、ネットで“発言”してるだけじゃ何の意味もないということにも、マトモな人間はもう気づき始めているだろう。今や受け皿が必要なだけだ。そして受け皿というのは、まず一人でビラまきでもなんでもやってやる、という人間が作り出すものだ

 その“一人”がなかなか現れないんじゃないですか?

 「それはもう単純に意志と決意の問題だから、議論してもしょうがない。決意した者がまず始めろ、と云うしかない。最初の一人がいればいいんだよ。もし自分の通う大学で自分が“最初の一人”になってやろうという者があれば、とにかくまずビラをまけと云いたい。ビラは愚直なものでいいと思う。ウケを狙ったり気をてらったりしない方がいい。そういうアクロバットは私や松本哉なみのごくごく稀な天才にしかどうせうまくやれないし、“今の世の中はおかしい、変えるべきだと思う、一緒に行動する仲間がほしい”といったようなことをオチャラケずにストレートに書いた方が好感も持たれるはずだ。明らかに学生でもなんでもない謎のオッサンやその下僕のような連中が、難解な“専門用語”満載の怪しいビラをまいてたって反応なくて当たり前だが、どうやらモノホンの学生らしき人間が日常用語でマジメな内容のビラを配っていれば、反応は必ずある。もちろん数人だろうが、しかしまず最初の数人の仲間が必要なのだ。一人ではなく数人になれば、あれをやろうこれをやろうと話し合えるし、楽しくなる。ハタから見て楽しそうであれば、さらに仲間は集まってくる」

 

(強調太字は引用者)